稀なケースとしての世界記録「東京スカイツリー」

東京スカイツリー

東京スカイツリー

世界最長スパーンの明石海峡大橋の想定寿命は100年ですが、メンテナンスが計画通り維持されればその数倍は堪え得る強度と言います。

問題のメンテ費用は言いづらいですが毎日1400万円です。
そんなことから、その倍を稼がねばならない任務を背負っている橋です。
巨額ではありますが、通行料は倍以上稼いでいますので高くはないのかな。
よくわかりません。

比較対象が無謀ですが、国際宇宙ステーションの5年間の一日当たり維持費は13億円以上です。
(日本は5年間負担は2000億円、1日約1億円です。)

人類が成した巨大建造物では、歴史上ピラミッドやらいろいろあります。
が、その目的は、古代では、人類の生活クォリティーに貢献するというよりも、国威発揚、元首威厳のための「存在そのもの」に目的がありました。

現代で行われる巨大建造物建設は人類に寄与することが目的です。
ギネスブックに登録されることを目的とすることはほぼありません。
明石海峡大橋も、計画時に各方面からのデータ収集、分析を行い、「これなら払える」という料金と建造費、維持費を複雑かつ綿密に計算して可能としたのですから、この経理計算作業も称え得る事業と考えます。

日本では、非常に稀なケースとしての世界記録を持つ建造物があります。
「東京スカイツリー」です。

これの高さはご存知「634m」で、科学的必要性の数字が根拠ではありません。

「日本を代表する高い塔を東京に立てましょう。何メートルがいいかな。」

が根拠です。
「武蔵野国」の「634」です。

東京テレビ塔「東京タワー」の高さが333mですが、これはごろ合わせではありません。
電波塔として機能させるために必要な高さが計算された結果です。
当時の地形から算出しています。

日本の土木建築技術が世界一を証拠づけるデータはありません。
なぜなら、使用する技術が複雑多岐にわたり、しかも、複合的な応用で実現されるからです。

しかし、現有する日本の土木技術が世界最高峰にあるに違いありません。

国際宇宙ステーションの建造当初費用、維持費はロシアが使用する分を除いてでは、圧倒的割合をアメリカ合衆国が負担しています。
もちろん、使用兼などの複雑な話はその割合で決まるそうですが、どの国でも、得意である分野、持てる国力、技術力に応じた、できることは世界平和人類福祉のために貢献したものです。
そうした見得張りやエエかっこしいはどしどしやりたいですね。

現代では人類が行う事業はコストと安全性が費用を相殺できるなら、GOです。
国家の威厳、国威発揚の時代は一部北部半島の独裁者のみの行為です。
数年前の「オ・モ・テ・ナ・シ」あれはちょっとかっちょ悪かったな。

明石海峡大橋~世界最長スパーンの吊り橋

明石海峡大橋

明石海峡大橋

長い間アメリカ合衆国の「金門橋(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)」は世界最長の吊り橋でした。
この橋は戦前から供用されていましたので、アメリカを知る日本人にとって、アメリカ合衆国の国力を象徴的に捉えたに違いありません。
ゴールデン・ゲート・ブリッジのスパーン長を抜いた吊り橋は同じくアメリカ合衆国のヴェラザノ・ナローズ・ブリッジです。

吊り橋は、形状が似た斜張橋とは違う橋です。
橋の下の利用の制約からスパーンを大きく(長く)とる必要がある橋には、吊り橋が使用されます。

世界最長スパーンの橋は日本の明石海峡大橋で1991mです。
工期終了目前に起こった阪神淡路震災の影響で、地盤が移動したため1m長くなりました。
構造体はもちろん地震を考慮していたので全く無傷でした。
予定通り、桁をワイヤーで引っ張って完成しました。
スパーンの長さは、橋のワイヤーのための塔の高さで決まり、この橋の高さが現代の力学的な限界と言われていますので、この橋のスパーンを越える吊り橋は今後現れないでしょう。

吊り橋の構造原理は、橋の両端に主ワイヤーを引っ張る(固定)するための堅牢なアンカーと言う構造物が必要です。
ここから渡された主ワイヤーを垂直に上方へ持ち上げ、塔で高さを固定し、その主ワイヤーから桁を引き上げる構造です。
吊り橋の仲間である斜張橋は、両端にアンカーを必用としません。
主ワイヤーもなく、塔から斜めに桁を引く構造です。
原理上、塔は最低一本でも建造可能です。

橋は通行不能、若しくは、著しく困難な点と点を結ぶ構造物ですから、古くから戦略的に大きな意味を持っていました。
攻撃のために橋を渡す。
攻撃を妨害するため、補給路を絶つために橋を破壊することが行われました。
ヨーロッパなど国境が隣接する地域では、スイッチ一つで橋を破壊できたものもありました。

明石海峡大橋について、上空を走るメインケーブルは、引っ張り強度180kg直径5.23mmのワイヤが開発され、127本で一本の「ストランド」を作り、これを290本で作られています。
一本のメインケーブルに36830本のワイヤーが使用されていることになります。
このケーブルは隙間を設けてある筒で覆われています。
錆び等腐食を防止するため、この筒に送風しています。
ちなみに、全ワイヤーの長さは光が1秒を要する長さです。

明石海峡大橋といえども、人が建造したもの。
しかも洋上です。
耐用年数が気になります。
想定は100年です。

「弾丸列車」から東海道新幹線の開通へ

東海道新幹線

東海道新幹線
東海道新幹線は綿密な計画と現実性に裏打ちされて着工しました。
1959年です。

開業は計画通りに行われていますので、「中央集中制御方式」鉄道の設計も着工前の立案時にはその技術が確立していたことになります。

中断した前身の「弾丸列車」でもすでに、「中央集中制御方式」が採用されました。

もちろん、1945年当時にコンピュータはありませんでしたので、人による神業のダイヤ作成を想定したのでしょう。

しかし、考えてみれば、戦争を敗北し、復興に向けた当時の人びとの努力は想像を超えるものであったことが現在の新幹線を見ると証明されます。
終戦が1945年で、その14年後に、東海道新幹線は着工しているのですから、既に掘られていたトンネルがいかに完成度の高いトンネルであったかが判ります。

今から14年前というと世界中が2000年問題でビビっていたのです。
その17年前にファミコン登場。
科学技術が加速度的発展であるとはいえ、終戦後の日本復興に対する日本人、私たちの先輩の努力と技術には驚くばかりです。

トンネルは明治時代から「手掘り」で「隧道」の名で地方に残っています。
よほどの理由がない限り封鎖はありません。
災害で失っても再建されています。
文豪は隧道を愛しました。

現在では、弾丸列車計画で同時着工で掘られ貫通させたすべてのトンネルは仕上げ工事がなされ、東海道新幹線(旧弾丸鉄道)、東名高速道路、名神高速道路、高速道路の主要トンネルとして現役です。

近年においてもシールド工法トンネルは有効なトンネル施工技術で、海底トンネルの主流であることに違いはありません。
ユーロトンネル(正式にはドーバー海峡トンネル。英仏海峡トンネル)は、この発展型の掘削機(トンネルボーリングマシン)で掘っています。

日本では、多神教崇拝により、山岳自体が信仰の対象となっていたため、山は神聖なるもの、越えるものであり続け「峠」が発達しました。
今でこそ、日本のトンネル技術は世界最高峰と言えますが、したがってトンネルの歴史は浅く、現役最古のトンネルは神奈川県保土ヶ谷の「清水谷戸(しみずやと)トンネル」で1987年(明治20年)です。

日本の陸上トンネルで、表日本と裏日本を貫くトンネルは、季節風の影響により、入口出口では大きく気候が変わります。
変わる途中が闇のトンネルですから、多くの場合、感動を起こすものです。

特に冬の関越トンネルは劇的変化を見せてくれます。
川端康成著の『雪国』についての評価はともかく、冒頭の

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

は確かに名文で、そこが「日本で」あることを確実に明示します。

幻の大東亜縦貫鉄道

つるはし

つるはし

東京発朝鮮半島釜山までの新鉄道路線は1940年に着工され、その路線に走らせる車両は時速200km電気列車と150kmの蒸気機関車を予定していました。

電化工事も同時に行われましたが敵の小規模攻撃(ゲリラ)に弱いとの判断で、電気動力を敢えて避けたトンネル仕様です。
これは、普通のトンネルであっても困難極まる大工事でしたが、機関車の排気には必要であったため、トンネルの仕様に初めから計画されていました。
トンネルに垂直の喚起用縦穴トンネルを併設していたのです。
その2年後、1947年、大東亜縦貫鉄道が検討され、3路線が立案されました。
途方もない大鉄道網です。

3路線の各終点は次の通りです。

    1. 海底トンネルを経てシンガポール、南京、上海。
    2. 既に開通していた満州鉄道を共用した、終点チッタゴン(バングラディッシュ)。一部路線は完成し現在も供用しています。
    3. シベリア鉄道の運休に影響されないよう併走する日本独自路線。終点ベルリン。この路線は混雑が予想されたので、別ルートを併設し、カルカッタ、バグダッド経由、終点ベルリン。

特にこの「東亜縦貫鉄道」は、既に着工している「弾丸列車」用新鉄道の延伸であるため、北九州と朝鮮半島を結ぶ朝鮮海峡トンネルについては、予算化され、着工を待つ状態でした。
繰り返しますが、この鉄道のために工事を進めていた新丹那トンネル以前のトンネルは手掘りだったのです。

いい悪いの話ではなく、特に裕福な国家でもない日本のすさまじいエネルギーには驚かされます。
着工し、ある程度進んだ事実が凄いです。

再度建築土木を離れますが、「弾丸列車」の試作車はありませんが、設計図は残されています。
「HD53」と言うモデルで、流線形の蒸気機関車です。
鉄道は当時すでに正式に「新幹線」と呼ばれていました。

車両は被攻撃区間をこの蒸気機関車で時速150km、電化区間、つまりトンネル区間は電気車両で200kmを想定して工事が進められたのです。

煙突穴は併設されています。
土木として見たとき、当時の地質学では現在のような精度の地質調査は不可能でしたから、丹那トンネルを教訓に初めから困難な工事を想定していました。
トンネルが全路線の大部分でした。

これは、「掘る」と言う強い意志が前提で、日本地図の等高線を無視した、ほぼ直線路線です。
工事の困難の覚悟は敵攻撃を想定しているので、初めから地中を走らせるつもりだったのです。

戦費、特に軍艦建造が工事を止めさせたとされています。

やる気と根性、技術は備わっていて、足りないのはお金だけだったと言うことです。

「弾丸列車」計画の中止と放置された「穴」

トンネル工事

トンネル工事

丹那トンネルを必要とした時代の日本は、英国同様、本土より支配地の方が広大でした。
この地に無限の可能性を求めることは自然な考えであったし、国政、世論も同じベクトルでした。

丹那トンネルの時代は、首都を東京に置きながらも、地方への交通は著しく貧弱なもので国策として、九州北部までの太い直通幹線を必要としていたのです。

当時、本気で打ち出された構想として東京から北九州までの「弾丸列車」です。
組織だった反対勢力がないイケイケ日本政府は実行しました。

鉄道の動力は初めから「電化」を敷設しましたが、こうたん性(攻撃、災害による消失を前提とした対応。軍事用語)を考慮し、蒸気機関車を想定した長距離トンネルが必要とされました。
排気のための中途穴が必要です。

政府仕様書は最高時速200km。
動力スティームエンジン(蒸気機関車)区間150kmでした。

これを実現するトンネルの青写真は直ちに作成され、同時に着工されました。
この時代は江戸時代のような無差別鎖国ではないものの、将来敵国に対する情報保全がなされていたので、日本の途方もない大土木工事の経過全容は知られていませんでした。

しかし、実際の日本国内では、着々と工事が進められたのです。

山岳部の各所同時進行でトンネルが掘られました。
山岳地帯と言う宿命的僻地での作業はインフラ整備から行わねば前進できません。
また、大量の作業従事者の寝食確保も必要です。
事故はいたるところで起こり、外科医療の充実が約束されていないことは従業員の士気に著しく影響しました。

当時、インテリズムの浸透もあり、プロレタリア層を無視できない社会情勢でもありました。
労力、科学技術能力、経済力、あらゆる国力をこの事業に注いだのです。

関門トンネルは1944年に貫通しましたが、弾丸列車計画の中止とともに仕上げ工事は中止され、供用には至りませんでした。
この時採用されたシールド工法は関門トンネルで初めて成功しました。

日中戦争はこの新輸送路を必要としましたが、戦局の悪化により1943年「弾丸列車」事業は止まり、「穴」は放置されました。
1946年再開が計画されましたが実現しませんでした。

完成しなかった「穴」は、

  • 日本坂トンネル
  • 新丹那トンネル
  • 音羽山トンネル
  • 逢坂山トンネル
  • 東山トンネル
  • 弾丸トンネル
  • 大津トンネル
  • 長等山トンネル

です。

一気に全部同時に掘り始め、戦争による困窮財政のため断念されました。

これらのトンネルは当時既ににすべて「貫通」しています。

現在の東海道新幹線が走るトンネルは1940年(昭和15年)にすでに着工していました。
日本坂トンネルはその時のトンネルです。

丹那トンネル~箱根という障害物との戦い

箱根の富士

箱根の富士

日本の都が関東に移ったのは日本史では新しいできごとです。
古来、広い平野に恵まれた武蔵野ですが、そこは海と壁に阻まれた僻地でした。

日本人の古い口癖に「箱根を越えれば云々」とあります。
首都圏と地方を分離する東海道の障害物、箱根山、山岳国家である日本では、地震にも堪えるたくさんのトンネルが掘られてきました。

地震国日本では建造物、橋、トンネルに耐震対策が必要であり、欧米と同じ設計で建造できません。
この宿命的不利が、日本に世界最高土木技術を育んだのです。

現在ではトンネル掘削はイギリスで考案されたシールド工法が標準技術です。
そう言えば、イギリスの家族構成国際救助隊が使い捨てではない、ジェット推進動力のトンネル掘削タンク「ジェットモグラタンク」がありました。
格納庫ごと飛んでくる「2号」に載せて現場に急行します。
垂直離発着が可能なので、山岳地帯でも大丈夫な物凄い技術力です。

しかし、ネーミングが信用できません。
「ジェット」はよし、「タンク」もギリギリよし。
途中の「モグラ」これって日本語のような気がするのですが実在したのでしょうか、疑わしいですね。

判断方法で解釈が違ってきますが、「手掘り」が大部分の作業方法であった最後の長距離トンネルは「丹那トンネル」です。
シールド工法も取り入れられましたが、失敗しています。
動力源は、電気が不安定でこの時代のトンネル作業の動力は、蒸気機関、牛馬、そしてツルハシによる手掘りでした。

同時、新工法として圧搾空気掘削工法が取り入れられました。
シールド工法は、壁面を「セグメント」を積み重ねて作りながら進んで行くのですが、丹那トンネルでは適応できず。この圧搾空気掘削工法の効果が大きかったのです。
高圧空気で壁面を支える工法で、現在では、「ケーソン」と呼ばれている工法です。

通常トンネルの工法ではありません。
現場環境は高圧空気ですから、施業員が減圧環境へ戻ると、潜水病と同じ状態となります。
ケーソン病(空気病)対策が必要となりました。
作業員に対する徹底した健康診断と、空気病から回復させるための減圧室が用意されました。

大変な難工事の末、丹那トンネルは開通しました。
このトンネルは当時国内第2位の長距離トンネルでした。

丹那トンネルにより、東海道線が迂回路をやめ、直ちに路線変更し、丹那トンネルを使用しましたが、迂回によるボトルネックの解消は短い期間でした。
すぐに輸送の限界がやってきて、新たな路線の必要はすぐに起こりました。

丹那トンネルまでのトンネル工事はやっつけ工事です。
地質調査なしでがむしゃらに掘ったのです。
箱根という障害物との戦いでした。
この工事から多くの教訓を学びました。

日本初の超高層ビル「霞が関ビル」と「百尺規制」

霞ヶ関ビル

霞ヶ関ビル

日本には1970年まで「百尺規制」なるものが存在しました。
すでに、形骸化していた規制です。

制定は大正9年です。
この規制の理由は建造物強度維持、安全基準でした。
「100」と言う数字に科学、工学的根拠は全くありません。

当時の日本は英国文化をあらゆる場面で手本としておりました。
日本の1尺が1フィートとほぼ同じで、フィートを洋尺と呼んでいたことから、英国にある建築基準の「100フィート規制」をそのまま真似ただけです。
当時から、日本は地震多発国家であることは自他ともに知っていたので、この数字に地震が考慮されていないことは確かです。

しかし、その3年後に関東大震災にみまわれ、この規制が緩むことはありませんでした。
規制制定後50年間放置された規制でした。
「陳情」と言う形で特例が承諾され、形骸化したのですが、いくら形骸化規制であっても「霞が関ビル」147メートル36階建てはこの規制の完全無力化が必要でした。
結局1970年に外れた規制です。

霞が関ビルは日本初の超高層ビルでした。
日本の建築工学は十分熟しており、満を持しての着工でした。
数年の後霞が関ビルを抜く超高層ビル建設のラッシュが始まりました。

高度成長期。
日本がもっとも活気があった時代です。
この頃は新幹線開通、首都高速道路、東京オリンピックに続き大阪万国博覧会、イケイケ時代です。

日本の土木建設技術はすでに世界最高峰にありました。
なぜなら、首都圏では年に数回は起こる有感地震。
この環境でも工学博士、建築学者、鳶たちはひるむことがなかったのです。

そして、出来上がっていく建造物はそのまま耐震構造建造物である証拠でもありました。

また昔話ですが、私が高校生のころ、大阪の阿倍野橋(天王寺と同じ駅)にあった「アポロビル」の地下2階のレストラン・モールにある、とある飲食店でアルバイトをしていました。
このビルの裏口は「串カツ屋さん」が並ぶアーケード街でコテコテなところです。
このビルは9回建てで、梅田に円形のビルが建つまでは大阪で一番高いビルでした。
この9階というのが、「百尺規制」に他ならないものでした。

つまらない思い出ですが、当時このビルで働いていることは自分の中で「自慢」でした。
ビルの中央にパイプで作られたモニュメントが貫いていて、上からコインを投げると綺麗な音を奏でながら下まで落ちて行きます。
そこにはお金が貯まっていました。御利益はありません。

ことにあろうか、現在のその跡地は国内最高峰ビルディング「あべのハルカス」となっています。

建築・不動産の参考サイト(外部リンク)
マンションの売却。住宅ローン返済中でも売りたい時の基礎知識! | http://www.xn--xck0d2ay1acb5e8425byql.com/
ローン残債のあるマンションを売却するには、抵当権の消滅が必要です。賃貸不動産(高層マンション含む)を勉強していく上でとても役に立ったサイトです。

黒部ダム~世界に類まれな大規模土木工事

黒部ダム

黒部ダム

1960年、私が生まれた翌年ですが、日本の発電事情が逆転した年です。
それまでの日本の発電は、水主火従(すいしゅかじゅう)と言って、全電力の過半数を水力発電でまかなっていました。

火力発電は水力発電を補う立場にありました。
現在では、歴史資料などで、この逆転した年を知ることができますが、私が小学生の社会科で習った時も「水主火従」と教わっていました。

水力発電は位置エネルギーを電気エネルギーに変換して得る発電です。
位置エネルギーをためているのは、水で、水に位置エネルギーを与えるのは太陽エネルギーです。
つまり、海から山へ水を持ち上げるのは自然エネルギーによるので、現在で言う「再生可能エネルギー」です。
(私はこの言葉に疑問を持っています。)

ですから、発電の現場を見える範囲ではクリーンエネルギー、地球にめちゃんこ優しいエネルギーに見えます。

ところが、ダムの建造となると、人類が侵す最大規模の環境破壊を実行せねばなりません。
超大規模土木工事、大量資材調達、水没させる自然環境面積。
現代においては、どんな政党、政権でも到底許されない大環境破壊で、事実上もうこのような土木工事は実行されないでしょう。

日本の大規模土木工事を語るとき、「黒四ダム(黒部ダム付属第4発電所)」は外せません。
語られるストーリに、

「壮絶な戦い」

「工事関係者死亡事故」

「困難極まる工事」

「材料資材調達の苦労」

「成し遂げた男たち」

で構成されます。

一切、「環境破壊」が話題になることはありません。

確かに、黒四ダム工事は、世界に類まれな大規模土木工事でした。

建造物本体のアーチ型ダムの大きさもさることながら、現場アクセスの悪さ、長い工期。
そのどれも前代未聞の大難工事でした。
現在でも資料、ドキュメンタリードラマを容易に入手できます。

黒四ダムの正式名称は「黒部ダム」です。
黒部ダムは世界で一番大きなダムではありません。
人造湖も日本最大ではありません。
水力発電能力もしかり。

黒部ダムの世紀の大工事の「世界級ではない記録」を示しておきます。

  • 工期7年
  • 費用関西電力総資本の5倍513億円
  • のべ作業員1000万人+ロボット1体
  • 工事専用トンネル
  • ダム主構造体高さ186m(日本最大)水圧で5m移動する
  • 殉職者171柱
  • 関連ドラマ。関西電力作成3作、映画1作、NHKドキュメンタリー2作、テレビドラマ1作、漫画1作。計8作。

知られざる特記事項。
作業に従事した鉄人28号が人造湖湖底で今も眠っている。

青函トンネル~公海上を開通したはじめてのトンネル

関門橋

関門橋

内陸部で谷を渡る「橋」、山を貫く「隧道(トンネル)」。

これらは陸続きであっても、過酷な肉体疲労と危険を伴う登山から、人を開放しました。

これさえあれば、移動できる人の種類も大きく緩和します。

身体不自由、老齢者もある程度は移動可能です。
谷の橋、山のトンネルに選択はありませんが、越えなければならない障害物が「水」の場合で、陸続きにするための手段は、橋かトンネルかを選択することになります。
おおよそ距離が短い場合は橋、長い場合はトンネルが選択されます。

大規模な連絡道として、橋とトンネルの両方が運用されているケースとしては、九州と本州をつなぐ関門橋、関門トンネルがあります。
関門トンネルは関門橋の3倍以上の距離があります。
このトンネルは、歩道(1種原動機付自転車を含む)と車道が別のトンネルです。

国際トンネルでないにも関わらず、公海を貫く海底トンネルが青函トンネルです。
トンネル内部は日本の法律が及ぶとされました。
このトンネルは現在世界最長トンネルです。

開通が遅れているスイスのゴッタルトベーストンネルが完成すると、こちらが世界最長です。
記録上、トップにあることはいいことですから、いろいろ項目を拵えれば、それぞれに「世界で一番何某のトンネル(橋)」はほかにもあります。

例えば、世界で一番深い場所に掘られたトンネルは、青函トンネルがしばらく世界一でしたが、現在ではヨーロッパに悲願であったドーバー海峡トンネル(ユーロトンネル会社)がこれにあたりますし、ゴッタルトベーストンネルが完成しても、海中トンネルの世界最長は日本の青函トンネルがゆずることはありません。

橋においては、世界最長の橋は、群を抜いて中国の「丹陽―昆山特大橋」です。
全長164800mです。
途方もない距離です。

しかし1スパンの長さでは、日本の明石海峡大橋で1991mです。

当たり前ですが、トンネルにしても橋にしても、ドミノ倒しのように記録に挑戦することが目的ではありません。
この記録の数字は副次的なもので、人々が必要とし建造した結果としてついてきたものです。

ただし、この建造物、土木工事が技術的な裏打ちで「可能」経済的に「可能」となったから挑めた事業です。
どちらか一方が不可能を示せば、あきらめるか、待つかしかありません。
その時代における人類の最高峰の知恵の集大成です。

そういう意味では、宇宙開発、超高速大規模電子計算機、高度医療が同じ範疇となるのでしょう。
実に頼もしくもあり、希望に満ちています。

はじめに~鳥は翼、魚は鰭、人は脳で海を渡った

海を渡るカモメ

海を渡るカモメ

ある、私が好きな芸能人が当時の政府から厳しくお叱りを受けて会見で謝罪したことがあります。

「青函トンネル完成だ。熊が来る。さあ埋めろ」

でした。

この人は、

「トキの焼き鳥食べたいな」

のときも謝っていました。

また、

「「止まれ」はダメだ「止まろ」にしよう」

とか言って、道路標識の「止まれ」の「れ」の上に「ろ」と書いたシールを貼って叱られていたし、バイクのヘルメットの代わりにスキンヘッドにした子分の頭にヘルメットの絵を書いて警察官の反応を見る特集を企画し、放送しました。

非常に近いご親類に故植木等さんがいらっしゃって、身のこなし、声は生き写しです。
柳ジョージさんではありません。

鹿児島県の沖縄寄りの島にハブ(毒蛇)がいます。
沖縄県はハブの県と思われていますが、いない島もあります。
島の数でいえば、半数です。

以前にまことしやかに、沖縄では、島を南下するとき、1島おきにハブがいる島、いない島となっている、とかありましたが、これはでたらめです。

ただし、「いない島」と「いる島」の仕組みの説明は正しいです。

有史以前の昔、南西諸島が陸続きであった頃は全域に生息していたらしいです。
長い時間の経過の間に隆起、沈降があり、標高の高い地域は水没を免れました。
その後再び隆起が起こり、一回水没した経験のある島には、陸地を隔てた島へ移動できない動物が再びそこを棲家にすることはできなかったため、ハブのいる島といない島が存在しているのです。

地球上の生物の中で、植物は陸地が海にで隔絶されていても、同種類のものが他の陸地で見かけることができます。
多くは、その植物の種子を鳥類が糞などで運ばれて生息したと考えられます。

動物では、翼で羽ばたくが、鰭で漕ぐか、脳を駆使するかしないと海を渡れません。
一部泳ぐことが可能な生き物がいますが、その能力は悲しいほど未発達なので、一定距離を隔てた陸地に新天地を求めることはできないのです。

事実上、はじめから肉体に飛翔器官が備わっている鳥類以外で、新天地へ向かうことのできる動物生命は人間だけです。

その手段は、造船技術と土木技術です。
船舶で移動するためには、冒険的勇気と、強い好奇心そして知恵が必要です。

一方土木技術により得た、人工陸続きは建造に成功すると、強靭な精神や知恵などを必要とせず容易に新天地へ向かうことができます。

より遠くを望むのであれば、船舶が手段ですが、土木技術の進歩は飛躍的ではないものの、確実に距離を更新しています。

合わせて、安全性を強く担保されています。